View profile

森喜朗氏の女性差別発言に対して男性があえて言葉にすべきこと

執筆:望月優大|私はこの問題がこうした形で曖昧に幕引きされるべきではないと考える。今や問題のフェーズは社会の側がどう対応するかに移行した。森発言の何が問題なのか。彼の一連の言葉に対して、男性は、そして男性である私自身はどう応答すればいいのか。自分なりに論点と考えを整理してみた。
森喜朗氏の女性差別発言に対して男性があえて言葉にすべきこと
By 望月優大 • Issue #1 • View online
望月優大です。この文章は元々とある媒体からご依頼いただき書いたものだったのですが、その後経緯があってこちらに掲載することにしました。そのため書いてから公開まで少しだけ時間が空いてしまいました。
この文章の主な部分を書いたのは木曜夕方の森氏の会見のあとから金曜の朝にかけてでした。ご存知の通り、それ以降も各方面で様々な発言や動きがありました(残念なものも、心強いものも)が、本質的な問題の所在は変わっていないと考えています。
それではご一読のほどよろしくお願いいたします。
 
*****
 
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会を率いる元首相・森喜朗氏が悪質な女性差別発言をしたことが明らかになった。2月3日のJOC臨時評議員会議で「女性がたくさん入っている会議は時間がかかります」、女性の発言時間は「規制していかないと」などと発言したことが報道されている。
森氏の発言については、国内メディアが報じたのみならず、様々な国外メディアが性差別として批判する記事を即座に掲載した。また、JOCの山口香理事やラグビー協会で初の女性理事を務めた稲沢裕子氏からも批判の声が上がっており、カナダのIOC委員も「彼を朝のビュッフェで問い詰めます」とツイートしている。
森氏はこうした批判を受けて翌2月4日に記者会見を開いた。冒頭、書面を読み上げながら形式的な謝罪と発言の撤回をしたものの、責任を取っての辞任については否定した。会見では「誤解が誤解を生む」といった言葉や、記者に対して「面白おかしくしたいから聞いてんだろう?」と凄む場面もあり、自らの発言に問題があるというよりは、メディアの報じ方や、市民の受け止め方にこそ問題があるというような憤りが随所に垣間見えた。
逆に、森氏自身が何を謝罪し、どういう理由で撤回を決めたのか、自らの言葉の詳細や具体的な点を挙げながら説明し、反省を示すような場面はなく、問題の所在を認識しているのかには懸念が残った。幕引きを図るために「とりあえず謝罪・撤回しておこう」という素振りに見えた人も多かっただろう。驚くことに、森氏と示し合わせたかのように、IOCはその後すぐに「この問題は終了と考える」とコメントしたことが報じられている。
私はこの問題がこうした形で曖昧に幕引きされるべきではないと考える。今や問題のフェーズは社会の側がどう対応するかに移行した。森発言の何が問題なのか。彼の一連の言葉に対して、日本社会は、特に男性は、そして男性である私自身はどう応答すべきなのか。自分なりに論点と考えを整理してみた。
 
1. 森氏の発言は「失言」ではない
最初に重要なことを確認しておきたい。それは森氏の今回の差別発言が「失言」ではないということだ。
辞書を引くとわかるように、失言には「言うべきではないことを、うっかり言ってしまうこと」という意味があるが、森氏は「うっかり」ではなく意図的に一連の「言うべきではないこと」を口にしている。
それらが意識された言葉であったということは、彼が「テレビがあるからやりにくい」とか「また悪口を言ったと書かれる」などの形で「本当は言うべきではないことをこれからあえて言いますよ」という趣旨の予告をしていることから明らかだ。
つまり、彼の言葉は口が滑ったとか、悪気はなかったという種類のものではない。悪気はあったのだ。森氏はそれが「良くない発言」であることをわかった上で、あえて言葉にしたのである。
そこには彼の自由な意思があり、あえてする言葉の選択があった。その点は極めて重要なことだ。「失言」と表現することは彼の意思を見えづらくする。彼は自分が何を言っているか、最初からよくわかっていたのだ。
 
2. 彼の言葉が貶めた二つの対象
次に森氏の発言が意識的に貶めた対象について考えたい。大きく二つに分けられる。まずは言わずもがな、「女性」である。
「女性は話が長くて会議を長引かせる」云々というのは根拠のない差別発言だ。大きな力を持つ森氏のような人間がその差別を口にすることは、彼の近くで働く一人ひとりの女性に対して「もっと短く話せ」、あるいは「会議から女性の人数を減らせ」という具体的な圧力として働くことになる。
さらに言えば、この社会に生きるすべての女性に対して、そして男性に対して、女性に対する偏見と差別を容認し温存するメッセージとしても働くだろう。なんと言っても、彼は元首相なのだ。この国の一番のリーダーを務めた人物なのである。
もう一つ。重要なことに、森氏の言葉は女性を貶めるだけに止まらず、性差別の禁止という「規範」そのものを攻撃している。「言うべきではないことをあえて言いますよ」という趣旨の前置きを繰り返すことによって、彼は「性差別の禁止」という規範を意識的に侵犯し、自らのその侵犯自体のことを聞き手に示そうとしているのだ。
わかりやすく言えば、彼のやったことは「赤信号だとわかった上であえて赤信号を無視し、かつそのことをこっそり周りに言いふらす」という振る舞いに似ている。「こんなルールは大したものではない」と挑発的に言葉や行為で周囲に示すこと、それが規範自体を貶めるということの意味だ。
だが森氏は直球で性差別の禁止に反対しているわけではない。今回も、批判の声があがると発言の翌日には形式的に謝罪をした。それは「これを言って何が悪いんだ」と悪びれずにふんぞり返るのとは少しだけ違う態度だ。必ずしも規範自体を正面からひっくり返すような攻撃をしているわけではない。
彼がやっているのは、一応は自らも承認している規範の上に、文章化されない「もう一つの規範」をまぶしかけて無効化するような行為である。周囲の人間や記者に「そんなことくらいで怒らないでよ」という圧力をかけながら、「尊重すべき規範」をして「破ってもいい規範」へと脱臼させることだ。
彼の発言に周りが笑いで応じたということは、それが肯定的な同調であれ、あるいは仕方なくの苦笑いであれ、彼が周囲の人間をこの侵犯行為の内側へと巻き込み、その狭い範囲内では成功を収めたことを意味する。
聞き手を共犯関係の中へと引きずり込み、その場を「もう一つの規範」で支配したということだ。「外で言ったら怒られることを内輪の論理で笑って済ませる」というのは、つまりはそういうことである。
その支配の網から情報がひとたび外部に漏れさえすれば、それが客観的な批判の対象となるのは当然のことだ。森氏もわかっていたはずである。批判の大きさは彼の予想を超えるものだったかもしれないが、今のところ自らの地位を明け渡すほどの重大事だと認識しているわけではなさそうだ。
森氏は会見で「皆さんが邪魔だと言われれば、掃いてもらえば良い」と言った。この自分に邪魔だと言えるのか?この程度のルール違反なら「撤回」しておけば大丈夫だろう?そう、言っているように聞こえた。彼はまたもや「内側」へと巻き込もうとしているのだと思う。彼の近くの人たちを、そして私たちをも。
 
3. 問題の本質は「社会が森氏にどう対応するか」に移った
以上のことを確認した上で、私は森氏の辞任は当然に必要なことだと思う。さらに、組織委やJOC、東京都、日本政府などの責任ある関係者が、今回の発言に対してこれからどのような対応をし、どのような認識を示すのかが、本質的にはより重要な要素となってくるはずだ。
なぜなら、もし後者の対応が適切でありさえすれば、森氏個人の発言自体を取り消すことはできないものの(言葉は「撤回」できない)、少なくとも日本社会としては「性差別を許容しない」という姿勢を明確化することにつながっていくからだ。国内に対しても、国外に対してもである。
だが万一うやむやに彼の地位を温存することを選び取るのだとすれば、それはもはや森氏だけの問題にはとどまらず、彼の言葉に対するこの社会全体の共犯性を示すことになる。高い地位にいる男性の言葉であれば、自ら守るべきとしている規範からの堂々たる逸脱すらこの社会は許すのだ、咎めることすらできないのだという悲惨な現実を突きつけることになる。
もしそうなってしまえば、女性に対しても、性差別禁止の規範に対しても、森氏個人の発言そのものよりもはるかに大きなダメージを与えることになるだろう。これからの時代を生きる女性たち、若者や子どもたちに対しても、希望ではなく諦めを促すことになるだろう。
東京オリンピックの開催可否については、新型コロナの感染拡大を受けて様々に議論がなされている。この文章でそのこと自体を云々するつもりはない。だが、仮にも開催の方向性で考えようとする立場であればなおさら、せめて日本社会のポジティブな変化の象徴となることを本気で目指してほしいと思う。この「本気で」というのは「本気で」という意味だ。二重の意味などない。
そのために必要なことこそ、属性に基づく理不尽で不当な価値判断を排し、広く、そして真摯に、様々な人からの「話を聞く」ことではないだろうか。「女性は話が長いから制限が必要だ」という偏見は、変化にも、発見にも、致命的に逆行している。
 
4. 老いていることが問題なのか
私は35歳の男性だが、今回の件について発言する際には、自分が「男性」であることと「35歳」であることはそれぞれとても重要なことだと考えてきた。
森氏の発言に対しては「老害」という言葉を用いた批判も多く、彼自身も会見で「皆さんが邪魔だと言われれば、おっしゃる通り、老害が粗大ごみになったのかもしれません」とその言葉に直接言及している。会見前に公開された毎日新聞の取材記事でも「私自身も『老害』という批判を意識し、反省しながらやってきた」と回答していた。
だが、私は今回の森氏の発言について彼の「老い」に焦点を当てて批判することにはためらいを感じる。ここで真ん中に据えるべき問題の本質は「老/若」なのだろうか。私はあくまで「男/女」だと思うのだ。少なくとも今回の発言に限って言えば、彼の問題は老いていることではない。彼の問題は女性に対して差別をしていることだ。
重要なことだが、森氏には自分の年齢を変えることはできない。だが差別発言をしないよう意識して努めることならできるはずだ。あるいはもしも自分の言葉も制御できない、さらにはそうする意思自体がないというのなら、もはや組織委の会長だけでなく、ほかに就いている様々な役職からも退くべきだと思う。
批判の焦点をどこに据えるかはとても重要なことだ。私は森氏に「粗大ごみになったのかも」などと嘯きながら自らの「時代遅れ」を嘆いてほしいわけではない。世間から「老害」と罵られるかわいそうな老人像を自虐的に受け入れることで、それを免罪符だと思ってもらいたくもない。
私が森氏にやめてほしいのは、高齢であることでもなければ、高齢なのに力を持ち続けていることでもない。女性に対する差別をやめない男性であり続けながら、同時に自らの力を手放さずにいることによって、結果的に多くの女性の尊厳に傷をつけ、不当に機会を奪い続けていることだ。差別をやめるか、力を捨てるか、せめてどちらかを選んでもらいたい。自分の意思で、選べるはずだ。
老いに焦点を当てた批判をすることで、私は森氏の「選ぶ力」を過小評価してしまうように思う。「老人なのですみません」、そんな言い訳を許してしまうように思うのだ。最初に書いた通り、森氏は意識的に差別的な言辞を弄している。彼は耄碌などしていない。だからこそ問題なのだ。彼の言葉は自由であり、自由だからこそ重いのである。

5. 男性があえて言葉にすべきこと
最後に。私が「老/若」ではなく「男/女」に焦点を当てるべきだと考えるのは、私が「老」ではない「男」だからということもある。
「老」を批判することは、自分が「男」であることを見えづらくする。私は森氏の言葉を批判するが、そうしたからと言って私は私が森氏と同じ「男」であること自体を切断することはできない。そして、そうすべきでもない。
冷静に考えてみれば、私自身も男性であることによって、森氏がこっそり、あるいは開けっ広げに温存しようとしてきた社会の構図から意識せずとも利益を得てきたはずだ。子どもの頃も、若者の頃も、そして中年に差し掛かった35歳の今も、生まれたときからずっと、私は男性であり続けている。この社会の中で。
医大の入試で性差別的な点数操作がされていたことを思い返す。私はそれを嘆くべきことだと考えたが、私にとっての実害はなかった。男性だからである。むしろ似たような構図の中で、自分が知らないうちに得をしてきた可能性の方が大きいのではないかとすら思う。発覚していないだけで。 
今回も同じことだ。女性を会議や意思決定のプロセスから排除する。あるいはその内部で都合の良い存在、予見可能な「わきまえた」存在へと力ある男性がコントロールしていく。この社会に遍在するそうした振る舞いは、私にはきっと直接の害を与えてこなかったのだろうと思う。男性だからである。
私は男性であることを理由に発言を抑制されたり、短く話せとか、言葉を封じられたりしたことはなかった。それは、とても重要なことだ。
私が生まれ育った日本社会の中で、森氏の発言に見られる性差別的な論理を長く支えてきたのは、「積極的に女性差別をする男性たち」の存在だけでなく、この「女性差別から直接の被害を受けない男性たち」による消極的な支持または無関心ではなかったかと思う。
その無関心は積極的に誰かを攻撃しているわけではないのかもしれない。だが、差別を内包した社会の構造や自分以外の男性による性差別的な振る舞いが隠然と自らにもたらす利益のことを考えるとき、必要なのは一人ひとりの男性が、「私はそんな利益などいらない」とあえて、自らの意思で、言葉にすることなのだと思う。
差別する権力は周囲の人間を共犯にする権力だ。それは今回のことでよくわかったと思う。今起きていること、森氏が自らの言葉の責任を取らず、それを「余人をもって代えがたい」などと周りの人間がうやむやに認め、「まあこんなもんかな」、「それも仕方ないかな」という空気で社会全体を塗り直していくということ。
もしそれがおかしいと思うのなら、共犯にされたくないと思うのならば、「勝手に共犯にされてたまるか」と声に出して言う必要がある。そうするためには、「私という個人は女性差別をしない」と言うだけではなく、「私は女性差別をする他者を容認しない」とまで言わなければならない。構造的に利益を“得させられてしまう”男性こそ、そう言わなければならないのだ。
森氏の態度は発言後の会見ではっきりしたはずだ。彼は辞任を選ばなかった。形式的な謝罪と撤回で幕を引けると判断した。このあえてする選択にどう対応するかが今問われていることだ。行動には意味が伴う。言葉には責任が伴う。組織委、JOC、東京都、日本政府。問われているのだ。私たちもまた、問われているのだ。私も一人の男性として、この文章を書いた。(了)
 
***
 
政府、東京都、JOCに対して森氏の適切な処遇と再発防止を求める有志の署名が立ち上がっている。

***

今回の文章を載せたrevueというサービスはTwitterの新しいニュースレター機能だそうです。良いきっかけと思いアカウントを作ってみました。下の箱から登録(subscribe)いただくと私の文章が時々メールで届くかと思います。それからこの文章に共感するところがあればシェアいただけたら嬉しいです。ここまで読んでくださりありがとうございました。

***

(2/8追記)記事を読んでくださった知り合いの編集者の方から「複数の書店さんからこの記事の印刷配布の希望のメッセージがあったので、クリエイティブ・コモンズにしてみては?」という趣旨のアドバイスをいただき、そうしてみることにしました。必要な方は以下ご確認いただいた上でご利用ください。よろしくお願いします。(編集者さんアドバイスをありがとうございます!)
本文書はクリエイティブ・コモンズとして許諾不要の再利用を可能とします。ただしCC-BY-NC-ND(著作者の表示と非営利目的利用、改変の禁止)でお願いします。なお、非営利に関しては書店さん店頭等での配布等、文章そのものに価格がつかなければ営利団体が印刷・配布をして頂いて問題ありません。

 

Did you enjoy this issue?
望月優大

望月優大(もちづきひろき)。85年生。著書『ふたつの日本「移民国家」の建前と現実』講談社現代新書。ウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。株式会社コモンセンス代表(非営利団体等へのアドバイザリーなど)。TBSグッとラック(毎週火曜)などメディア出演。*下の箱から登録(Subscribe)いただくと私の文章(ニュースレター)が時々メールで届くかと思います。よかったら。

If you don't want these updates anymore, please unsubscribe here.
If you were forwarded this newsletter and you like it, you can subscribe here.
Powered by Revue