いつの間にかニュースをそんなに見なくなったことに気づきました。自分の注意を逸らすようなスマホアプリ(はてなブックマークとか Google Discover とか)を削除したり、ただブラウザの「新しいタブ」をクリックしただけでデフォルトで表示されるニュースを非表示に設定変更していったら、自然と見なくなっていきました。
Twitter や Facebook だとか SNS もあまり見なくなって、最近過激なニュースを自分が直接目にすることはないです。IT 系のメディアの RSS フィードを購読していてそこで知ったり、個人ブログやPodcast を聞いたりして間接的に知ったりする程度です。
それで自分にどんな変化があったかというと、とりあえず困っていることは何もありません。たまに会社の人の会話についていけないくらいですかね。良いこととしては、意味のないストレスと戦う時間がなくなりました。
昔から思ってたんですが、アフリカの子供たちがワクチン(COVID-19のものとかじゃなく)が受けられないとか水が飲めないとか教育が受けられないとか知ったところで、僕たちの生活が何か変わるわけでも、それによって生活の襟が正されるわけでもないのに何しているんだろうな(あるいは大人たちは何をしたいんだろうな)とずっと思っていました。それは日本国内の出来事やその他外国の出来事であっても大差ありません。結局この世界で起こっていることの9割9分は自分には関係ないし、どうでもいいことはどうでもいいのです。どうでもいいことを知る必要なんて一切ないし、どうでもよくなければいつか知る機会のほうからやってきてくれるでしょう。能動的にニュースを見なければならない理由なんてどこにもないのです。
それにこの頃は SNS の発達でニュースに個人の意見を付与してシェアされることが増えました。無言で記事のみをシェアされるならまだいいんですが、どこに宛てることもできない怒りとニュースを同時に共有されても受け手は嫌な気持ちになるだけです。怒りをシェアしたところで何も良いことはありません。
そんなことに疲れたからこのパンデミックの時代をひとりで生きています(何度も言っていますが)。
今でも毎日、芸能人がどうこう言った、インフルエンサーがこんな発信をした、政治家が失言して炎上したということが繰り返されているのでしょうけど、何ひとつ興味がありません。今となっては、なぜ興味がない情報を毎日意味もなく見ていたのか思い出せません。今のほうが自分はずっと幸せなように感じます。