昔話なんですが、かつて父親が休職していた時期がありました。2013年とか、2014年とか、それくらいの話です。両親と僕の 3 人で貧乏暮らしをなんとかやっていた時期がありました。
当たり前なんですけど、そんなときに家電を買い換えたりガジェットにお金を使ったりしないんですよね。毎年 iPhone 買い換える人をテレビで見てバカなんじゃないかって思っていました。今は思ってないけど。
で、父親も仕事に復帰してある程度生活は戻ったんだけど。
何よりも思ったのは、一度進歩のない・変化しない生活を経験するとそれが普通、それでよいと感じるようになって社会の変化とかについていけなくなるんですよね。その家の中だけ、時間が止まるんですよ。
例えば古いテレビとかを使っていてまだ動くし地デジ見れるし変えないってすごく長いことテレビを変えてなかった。だけど、今の時代テレビに OS が乗っていて YouTube もボタン一つで見られるのが当たり前。なんだけど、お金がないというだけでこうした当たり前って気づけなくなる。だってそもそも買おうと思わないし調べもしないから。
うちの親はテレビを数年前に買うまでそもそもインターネットにさえつながってないテレビ見てたんだけど、新しいテレビ買ったら YouTube とか見るようになってた。
テレビ買わないってだけならまだどうだっていいんだけど、これが長引きすぎると家の外の人と話せなくなって(話が合わないから)、孤立して本当に社会と断絶してしまう。そしてその家の中だけ、その家の時間の流れで生きていくことになる。
そしてその家庭で生きた子どもはそれが当たり前になって、またそういう家庭が一つ増える。これが貧困の連鎖だよね。
利用者の中で当たり前になっていることを覆すことの難しさ
未利用の人が、使った後の便利さを使う前に想像し期待することの難しさ
利用者の方にこれほどの実感を持って「役に立つものだ」と思ってもらえないと根本の生活を変えられない
下記の記事書いた人、全くそんなことを念頭に置いてはいないんだろうけど、この要素全部、お金があまりない中で生活していた自分を思い出す内容だったんですよね。
いまはもう脱却しているけど、自分が当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないと気づいたあのときの衝撃は忘れられないし、同じことを引き起こさないようにしたいなと思っている。