オープンであることや透明性があることに価値がある、という価値観をこのところよく目にする気がしています。政治報道でもそうだし、会社の組織作りなんかでもそう。特に IT 企業においてはオープンであることや透明性を担保するために Slack の使い方を工夫しているとか、もともとは社内ドキュメントだったものを社外に公開するとか、そういう行動も目にします。
一方で、なぜオープンであることや透明性に価値があるのか、ということに関しては僕はあまり理解していません。政治の現場にはあったほうが良いのかなと素朴には思いますが、なぜあったほうが良いと感じるのかは正直よくわかりません。極端な話、国民が納得するかしないかを問わなくても、豊かな暮らしができるようになるならば歓迎する人もいるでしょうし、例えば中国の政治体制が透明性なしで成立しています。世界一時価総額の高い企業 Apple は全く透明性のない組織ですが文字通り桁違いの額の利益を出していますし、透明性は株式会社としての成長に必須という主張は成り立たないでしょう。
僕自身もかつてはオープンであってほしいと、透明性があって欲しいと思っていました。自分の知らない場所で納得のいかない結論が出されて、その結論に振り回されるという経験を何度かしたからでしょう。
なんとなくそのほうが良い気がする、というレベルでは職場でのコミュニケーションはオープンであるべきだと、透明性があるべきだと思っています。一方で、他の組織もそうすべきか、政治など仕事は関係ない組織でもそうあるべきなのかなどについては僕には語れるほどの知識も思索もありません。
中国の台頭やパンデミックもあり、世界的には民主主義も劣勢へと追い込まれつつあるように感じます。権力の透明性が、あるいは意思決定のプロセスが重要であるという価値観が、自由の価値というものがなんとなく薄れているように感じます。
あくまで僕の勘みたいなもので根拠はなく、実際にはそんな未来は来ないかもしれません。ですが、仮にそんな時代になっても当たり前だった透明性や自由に価値があると、守らなければならないものであると根拠を持って主張し続けられるのか。今の僕にはあまり自信がありません。