既得権益に対抗する、対立するということをよく耳にします。
決して政治の世界だけではありません。既存の権力に対抗したり対立したりして、権力側を動かすという方法はどこでも行われています。典型的にはマイノリティが団結してデモをする、というような筋書きですが、例えば上長に部下(のグループ)が意見をする、みたいなのもこの形式でしょう。
一方で、権力と本来は対立する立場でありながら融和の姿勢をとることもあります。それがこのポッドキャストで紹介されている、女性政治家が男性政治家の “顔を立てる” というエピソードです。
考えてみれば、特に組織の中では基本的に権力構造に従うほかありません。だから対立したところで自分の立場が危うくなって終わりです。
ではイエスマンになるべきか、というとそれは違います。権力者と融和、もっといえば自分より立場が上の人間を懐柔するのは、然るべき時に自分がその権力を借り受けるためです。
人はなぜ権力を得ようとするのかと考えれば、究極的には自分の意思や要望を実現するためです。その意思や要望を通すには自分にはない権力が必要だから、何らかの形で権力を行使しようとするのです。そのためには、自分にはない権力を持つ誰かに行使してもらうしかありません。
そして行使する誰かも人間である以上、状況によってはいくら対立を深めても話が前に進まないことはあるでしょう。かえってお互い意固地になるだけかもしれません。
権力と融和する。それは一見、自分の意思を通さない、逃げの姿勢にも思えますし、実際逆に権力に懐柔されてしまう可能性もあります。でもそこで行われている駆け引きは、見た目よりも複雑なものなのではないでしょうか。